前回までの播磨レポはこちらの→まとめページ←からご覧下さい^^
長く続いた播磨レポですが、
最後は官兵衛さんとともに「二兵衛」と謳われた秀吉公の参謀、
竹中半兵衛さんゆかりの場所で終わりたいと思います^^
ご存知の方も多いと思いますが、
半兵衛さんは三木合戦の最中に、
秀吉公が陣を置いた三木・平井山で亡くなっています。
三木には半兵衛さんのお墓が二箇所あり、
1つは亡くなった平井山、もう1ヶ所はその少し先にある栄運寺です。

三木上の丸駅との位置関係は↑こんな感じですよ~^^
今回は日が暮れてきて時間がなかったため、
タクシーで向かいました。
この場所は車の方がいいかもしれませんね☆

(平井山 竹中半兵衛重治公墓所)
急いでいて外からの写真がないのですが、
ひと目で分かる白壁に囲まれた墓所です。
花も綺麗にお供えされてますね^^
半兵衛さんはその生涯が36年と短かったこともあり、
後世に書かれた物語が多く史実上はハッキリしないことが多いです。
天才軍師として半ば伝説化している半兵衛さん。
今回は「竹中家譜」や「太閤記」、
半兵衛さんの息子・重門公が書いた「豊鏡(とよかがみ)」等を参考に
官兵衛さんとの交流を書きたいと思います。
半兵衛さんは官兵衛さんより2歳年上。
若かりし頃に稲葉山の乗っ取りをしたことで
信長公も高く評価していた人物だと言われています。
織田軍の中国攻めで出会った官兵衛さんと半兵衛さんでしたが、
戦いを共にする中で信頼関係が生まれてきていたようです。
こんな逸話があります。
三木合戦が始まった頃、織田軍は城攻めに手を焼いていました。
そんなある日、数百名の兵が山中に消えるのを見た秀吉公は、
その敵味方を半兵衛さんに問います。
すると半兵衛さんは「あれは官兵衛殿の兵でしょう」と答えました。
この時官兵衛さんと半兵衛さんの間に作戦の打ち合わせはなかったのですが、
"官兵衛殿なら自分と同じ作戦を立てるだろう"
と考えたゆえの答えだったのだとか。
そして半兵衛さんは官兵衛さんの助けになるよう密かに援軍を出し、
敵をおびき出して官兵衛さんにそれを討たせ花を持たせた…というお話^^
頭の良い者同士だったことはもちろん、
信頼関係がなければ成り立たないお話ですよね。
けれど二兵衛と呼ばれた二人が共に戦った時間はそう長くなかったのです。
~つづく~





































































